プロフィール

オカリナ奏者のジャスティン

・苦痛でしかなかった音楽の始まり


6歳からピアノを習い始めました。



ええ。全然練習しませんでしたよ。


(白目)

いや、習わされていたと言った方がいいかもしれません。


レッスンの直前に10分練習をすれば良い方、という状況で、レッスンはただの苦痛でした。


(練習をほとんどしないのは今でも変わっていません。今も腰が重いです)


ただ楽譜を追っているだけで音楽性はまるでゼロ。


熱意や目標のようなものは皆無でした。


でもクラシック音楽を嫌いとは思いませんでした。


ピアノを習わせてくれた親には感謝しています。そのおかげで多少なりの音感が身に付き、少なくとも「楽譜を読む」ということができるようになったからです。




小学生5年の頃、興味本位でブラスバンド部に入ることにします。そこでトランペットを担当することになり、初めて「管楽器」のなんたるかを知ることになりました。


(なぜか必ず「正露丸」のテーマを吹かされるのはブラバン部あるある)


サックス担当の部長が面白い人だったというのもあり、卒業まで2年間楽しく活動できました。


ただずっと学校の楽器を使っていたため、小学校を卒業したと同時に、手元に楽器がなくなってしまいました。




・オカリナとの出会い


何か自分の楽器が欲しい!と思っていた中学1年の私を、母は楽器店に連れて行ってくれました。


そこで見つけたのが「YAMAHA アルトCオカリナ」です。


悩みもせず、何となく購入しました。


まるで何も考えていなかったと思います。


(親もよく買ってくれたもんだ…)

(※因みに今はYAMAHA独自のオカリナは非売品となっています)


家に帰って吹き始めた私は、音色の良さに感動しました。そして何より、トランペットと比べて簡単に音が出るのがうれしくてたまりませんでした。


学校の教科書や曲集に載っている曲を片っ端から吹き始め、どんどんハマっていきました。


そのころはダイヤルネットインターネットの普及全盛期でした。うちにもインターネットが来たのを皮切りに、オカリナ関連の様々な情報を漁るようになりました。


(ピーーーーガガガガガガガガガって音が懐かしい人は私と同年代)


この頃、いろいろな楽器店に行ってはオカリナを試奏し、比較検討するということを繰り返すようになりました。もはや伝説となっている世界初のトリプルオカリナ「イカロス」のことを知ったのもこの頃です。銀座の山野楽器にも足を運び、アケタのF管やG管を購入しました。


この頃は本当にいろいろなことに手を出しました。図書館に行って「様々な楽器の作り方」的な本を借り、


オーブン陶土と家のオーブンでオカリナを焼成してみる


ということさえしました。


もちろんオーブン陶土でいいオカリナができるわけはないと思うのですが、2回目の焼成で何とか最高音まで出るF 管オカリナが焼成できました。今思えば、オカリナの構造や良し悪しを知るのに非常に役立ったと思います。

自作二号



・佐藤一美さんの影響


高校3年の頃、近所の公民館で開催されていたオカリナグループに参加してみました。20人ほどの主婦の皆さんが学んでいる中に男子高校生が混じるというのは何とも不思議な体験でした。


そこでは加藤一二三さんという仙人のような外見をした音楽の先生がおり、「オカリナの始め方」を教えていました。


わかりやすいオカリナの教え方に関して、多くを学びました。


ある晩、加藤先生は「本物のオカリナ奏者を招きました」と言って、ある方を連れて来られました。それが佐藤一美さんです。


(今や非常に有名なオカリナ奏者ですが、そのころはあまり知られていませんでした)


その夜佐藤さんの演奏を聴き、ファーストアルバム「光の道」を購入しました。


そのアルバムは非常に素晴らしく、「はばたき」「小鳥のおしゃべり」「コンドルは飛んで行く」あたりの曲をCDが擦り切れるほどききました。


実際だんだん雑音が入ってきて、そのうちMDに焼いて聞くようにしたほどでした。


は?MD?となったあなた、そこ深くつっこまんでおいてけれ。


しかもその音源をただ聞くだけでなく、部分部分に区切って聞き、装飾音やスラーの入れ方などを紙に細かく書き出しては真似しました私のオカリナ奏者としての基礎を作ってくれた音源だったと思います。


その頃から、学校の文化祭、公民館や市の音楽行事等で演奏を行うようになりました。オカリナ奏者としての始まりだったと思います。


(因みにその頃の18番は「生き物地球紀行」という番組で使われていた「Tomorrow」という曲でした。懐かし)



・友人の影響。作曲の開始


高校生になった頃、私は「ミュージック・オブ・ザ・ハート」という映画の影響をモロに受け、バイオリンを習い始めることにしました。ただ週に2つのレッスンを受けるのは無理と感じたため、苦痛だったピアノのレッスンはとうとうやめました。


(よく高校まで続けたよな・・・。)


ただピアノのレッスンをやめただけで、ピアノをやめたつもりはありませんでした。


その頃から、友人の影響でピアノは五線譜だけではなく「コード」でも弾ける。ということを覚えました。


「えっ…コードってギターのためだけのものかと…」


(爆)


そんな私にコード弾きを教えてくれた友人には感謝しています。


(無知ってこわい 汗)



そのころの無知な私にとって、コード弾きはとにかく衝撃でした。五線譜と比べてとにかく簡単で、私は


「なんてたのしいのじゃあああああ!!おんがくとはあああ!!」


(狂気)


とか思ってました。


ずっとあこがれでしかなかった「ピアノ弾き語り」が簡単にでき、感動しっぱなしでした。


その頃から音楽の新たな道が開け、ますますハマっていくようになりました。



23歳の頃、私用で千葉から秋田に引っ越しました。

秋田では音楽をする友人がたくさんおり、一緒に演奏しては楽しい時間を過ごしました。

(※「ジャスティン」を名乗り始めたのもこの頃)


千葉、東京、秋田に音楽仲間が増え、彼らの「オリジナル曲」を聴く機会も増えました。


とにかく自分も作曲したい


という思いに駆られました。


無知なのにどうしたらいいのか…。


その頃からようやっと「コード進行」の何たるかを勉強するようになりました。


ある時音楽に詳しい東京の友人から


「作曲したい?そしたらまずはどんなに恥ずかしくてもいいから一曲作ってしまうことだよ。とにかくありがちな進行でいいからコードを並べて、歌詞とメロディをつけてしまえばいい」

「2曲目からは簡単になるから」


「そうなんか・・・」


ハラオチした私は、別の友人を一人を巻き込んでそれをやってみることにしました。その友人には私がどうしても書けなかった歌詞を書いてもらうことにし、私は作曲をしました。


その時ほどいろんな曲を注意深く聞いたことはなかったかもしれません。試行錯誤をかさね、「カノンコード」などのありがちなコード進行をまるパクリし、とにかく一曲作ることを目指して努力しました。


「2曲目から。1曲目は捨てる」そんな思いでスタートしたのが作曲活動のスタートでした。


初めての作曲のコツ=恥ずかしさを捨てる


そして曲はとうとう出来上がりました。その曲は数回友人たちの前で披露したものの、結局本当にお蔵入りさせました。


ただ友人の言った通り、本当に1曲目でコツがつかめ、2曲目はなかなかいいものができそうな予感がしました。


それで2曲目には「幼い日記」というタイトルを付け、自分の母親におくりました。


うおおお恥ずかしい(爆)



そんな感じで作曲を続けていましたが

「おれ、歌詞はムリ」


という結論に達し、ピアノ弾き語り曲はそこそこに、オカリナ曲をたくさん作ることにしました。


何曲か作っていくうちに「テンションノート」などのエモい響きの作り方も少しずつ学んでいきました。



私の曲を友人たちに聞かせると、感想は決まって


「演歌かよ」

と言われます。ハイ

(※もし私の「演歌」がお聞きになりたい方はこちら(レコチョク)からどうぞ)



・フォーカリンクオカリナとの出会い


27歳の時に私用で上海に引っ越すことになりました。

中国って面白い国です。

(路上で点心を食らうジャ〇ティン氏)

(なぞの商品も多々売っている中国)
クリトてあとしぶせねまむ包がまねす
(狂気)

(原材料に「ビタミン集中」「10%のイチゴジュース」「映画」配合)

「映画」配合のアメとは

(もはや恐怖)



ある日友人から、上海の「田子坊」という観光名所を見て回っているとき、


オカリナ専門店を見つけた


と言われ、私も行ってみることにしました。

それが
风雅陶笛、日本語でいうところの「フォーカリンク」です。

「メイドインチャイナ」という響きに「安さ」を感じるのは私だけでは無いと思いますが、中国製のオカリナってどんなもんなのかといぶかっていました。

しかし、そこでの出会いは、わたしの音楽人生を一変させました。


まずはフォーカリンクの音色です。


私は音色を聞き比べるために、前述のYAMAHAAC管(今は非売品)を持って行っていました。私のオカリナ人生を形作ってきた良いオカリナです。


ただ、音色を聴き比べて


唖然


としました。控えめに言っても天と地ほどの差がありました。私の持っていたYAMAHAの個体が実はあまり良いものではなかったのかもしれませんが。


しかしそれは当時の日本では決して悪いとは言われないレベルのオカリナです。それでもそこの店主はそのオカリナを吹いて、一瞬で


「なんだこりゃ…」


と言い放ちました。


やばい、世界は日本のオカリナ界の遥か先を行っている…


現実に衝撃をうけました。


しかもなんということか、そこでは

「複数管オカリナ」

が当たり前のように売られていたのです。

(ネット上でしか見られなかった夢の商品が、今目の前に売られている…!!)


子どもの頃に夢中で探してたものが、今目の前で手を広げている!!!

※ミスチルの「口笛」(爆)


しかも「演奏に耐える」とかいうレベルではなく、私が知っているすべてのオカリナの遥か上を行くクオリティをしている!!



しかもそこの店主、


当時「世界にまだ4本しかない」と言われる


「クアドラプルオカリナ」を見せてくれました。

(よ、4連…だとッ?!!)


やばい、やはり世界は日本のオカリナ界の遥か先を行っている


当時日本では複数管オカリナの扱いなどもちろんありませんでした。


オカリナという楽器の知名度さえ高くありません。

「オカリナ?鬼太郎の武器ね…」


とか言われる程度でした


彼は、「日本のオカリナ教師たちがこの店に来てはオカリナを買っていく」と教えてくれました。


焦りにも似た強い衝撃を受けた私は、早速トリプルAC管を購入し、その後足繁くその楽器店に通いました。

(※因みにフォーカリンク、英語名は「STEIN」と言うそうな)


その店で売っているオカリナ、教本、CD、全てがレベルのはるかに高いもので、多くの影響を受けました。


そうこうしているうちにそこの店主とは仲良くなりました。彼は「史峰」という名前で、今も中国でオカリナ奏者として活発に活動しています。

(店でたくさんのオカリナを試奏させてもらった)


・大沢聡さんの影響


史峰は


ものすごい演奏


をたくさん聞かせてくれました。


「くまんばちの飛行」


「カノンロック」


など、オカリナではおよそ不可能と思われる高速・超絶技巧の曲ばかりでした。


彼のこの演奏みたら唖然としますよ(YouTube)


(それでいて私よりオカリナ歴が短いんだからやんなっちゃうよな…)



でもそんな彼が、壁に描かれた大沢聡さんのサインを嬉しそうに見せてくれたのです。


「みろ、このサイン!オオサワがここにきたんだぞっ!!」

「この男」がサインを求めるような日本人だと?


私は驚きました。「オオサワ」って何者だ?!


興味を示した私に、彼は大沢さんのCDをタダでくれました。

衝撃でした。「オオサワ」の演奏を聞くと、失礼を承知で言えば、史峰の演奏が無感情に聞こえるほどでした。それほど「オオサワ」の演奏はぶっ飛んでいました。


「ただ速いだけじゃない、速さの中にも表現力が溢れている」


オカリナのさらなる可能性を、言ってしまえば


「オカリナ界の未来」


のようなものを感じました。


中国ではYouTubeが見れないため、日本への帰国の際に大沢さんの演奏を漁るように視聴しました。


彼の演奏はいろんなチャンネルに散らばっており、あるものは音質も悪かったですが、本当に多くのことを学べました。彼のような速弾きはできませんが、それでも取り入れられる技術をたくさん見つけ、とにかく耳コピに努めました。


(その頃、私も初めての動画「過ぎ去りし永遠の日々(16小節のラブソング)をトリプルオカリナで吹いてみた」をYouTube上にアップロードしました)


そうこうしているうちに、上海での物価や地価の上昇で史峰の店は経営が難しくなり、閉まってしまいました。そして私も新疆ウイグル自治区という所に引っ越しました。



・オンラインでの活動


ウイグル自治区には2年ほど住みました。さまざまな民族音楽(ウイグル族、カザフ族、キルギス族など)に触れ、踊りの楽しさも覚え、楽しい日々を過ごしました。


その頃、今まで録音してきた音源をまとめ、ファーストアルバム「トリプルオカリナの曲集だよ」を配信し始めました。

アートワーク

(配信ページはこちら)
トリプルオカリナの曲集だよ」(レコチョク)

(※様々なサイトで「Justin」という同名のアーティストたちとの混同があり、混乱が生じたためただいま配信を停止しております。ご迷惑をおかけします)

なんでそんなダサいネーミングにしたのかは今でも不明


楽しい日々でしたが、結局また引っ越しすることになります。


その後トルコのイスタンブールや香港に行きましたが、結局エジプトのカイロという都市に落ち着きました。


慣れ親しんだ中国やウイグルの文化を去るのは大変でしたが、英語とアラビア語での生活に順応しようと努力しました。


体当たりで英語を習得した結果、アジア外のいろいろな価値観に触れることができ、また人生が一層豊かになりました。


(※因みにアラビア語は未だに理解不能)



さてエジプトでは、中国で禁止されていたYouTubeが見れるということで、いろいろな動画を見るようになりました。


何人かのオカリナ奏者の方がアップされていた演奏動画を拝見して、とても素晴らしいと思いました。


が、


「なぜみんな単管しか使わないのか」


と不思議に思いました。


「この奏者がトリプルオカリナを手にしたらすごいことになるのに・・・」


などと感じました。日本のオカリナ会の発展に何か貢献したいと思いました。


それで自分なりにトリプルオカリナの良さを何点かまとめ、


「これを見たらトリプルオカリナが欲しくなる!」


という動画を出しました。

今思えば非常に拙い解説動画ですが、オカリナ動画にしては珍しく1万再生ほど、また多くの方からメール、問い合わせ等をいただきました。少しは役に立てたかなと思い、とてもうれしく思いました。


その後も

これを見たら「君をのせて」が吹ける!

【名曲集】トリプルオカリナ演奏

などの動画をぼちぼちと出し続けました。



その後、カバー曲の音源がなかなか溜まってきた&オリジナル曲ではサッパリ売れないということに気づき(遅すぎ)

20178月から、カバー曲集のセカンドアルバム「心にのこるトリプルオカリナ名曲集」を配信開始しました。(2018年8月に配信終了)

アートワーク完成版

(※その頃から商品の絵は自分で描き始めた)


20184月からは「オカリナ奏者のジャスティン、新しいことを始めます」という動画と共に、オカリナオンラインレッスンをひっそりと始めました。生徒となってくださった皆さんとは楽しいレッスンができており、本当に感謝しています。




・今後の活動


基本海外に住んでいるため日本でのイベント、演奏会、レッスン等にはほとんど参加できませんが、


(人前に出る自信がないというホンネもある)


今後もYouTubeを通してフォローしていただければ幸いです。今はネットを通してどこにいても


(内気なジャスティンのような人間でも)


情報発信できる時代になったので、そのような場を最大限活用していきたいと思っています。



WiFi環境が整っていないのでまだ実現できませんが、将来的にはYouTubeライブも積極的にやっていく予定です(※以前微弱な電波環境ながら一度だけYouTubeライブ実行致しました。アーカイブはこちら)。新しいオリジナル曲も随時配信します。


YouTube動画配信も続けて行きます。オカリナの吹き方、演奏、オカリナ界の最新動向、音楽関連の情報提供、商品紹介などが主な内容となりますが、とにかく皆さんの役に立つオカリナチャンネルにしたいと思ってます。


今後も時代の動向を見据えつつ、柔軟に情報発信していきます。みなさんのフォローに心より感謝しています。




この文章を見ているあなた


えええええええええええええこの長文をまさか全部読んで下さったのですか?!


うわあああああありがとうございます!ぜひどの動画でもいいので、YouTubeのコメント欄で

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オカリナ講師のジャスティン

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(オカリナとは別のイラストの仕事をしています)

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